ブルーバッジガイドとめぐるスコットランド  パート2
 「アニー・ローリー」の里を訪ねて
 Visiting the Maxwelton House for " Annie Laurie ".
  美しき国スコットランド   誰も行かない名所  その2

(C) 2013 DIgital Stream All rights reserved.
 
 
2013年。再度、スコットランドへ行く機会がありました。
 
今回も歌モノ取材です。
 
多くの人が知っている、また聞いたことのある歌 「アニー・ローリー」
アニーとの悲恋を描いた詩にメロディが付けられ、故郷にいる愛しい人を想う歌として世界中に広まりました。
アニー・ローリーは実在した女性でスコットランド生まれ。近隣で評判の美人だったと伝えられています。
 
メロディを追っていくうちに、アニーの暮らした場所を訪ねてみよう、ということになりました。
仕事なので、私は映像で物語が組み立てられるようにしなくてはなりません。知識が必要です。

しかし情報は極少なく、まあ苦労するだろうな、とは思ってました。
 
アニーが暮らしたのは、スコットランド南部、ダンフリーズという街の近く、ということまでは分かっています。
今回も以前お世話になったエディンバラ在住のブルーバッジガイド、渥美さんと一緒です。彼女も興味があったようで、東京のプロデューサーとともに事前の下調べをしてくれていました。
 
ただ、いかんせん都市から離れた田園地帯。人づての情報だけで探すのは結構大変です。
エディンバラから車で走ること約2時間半、行き着いたのは思っていたより静かな丘陵地帯。かなりの田舎といっていいです。
   

この辺だろうと、うろうろした挙げ句やっと、たどり着きました。
   

ここがマクスウェルトンの丘

マクスウェルトンで最初の男爵となったサー・ロバート・ローリーさんの館があった所です。

このマクスウェルトン卿と称されるロバート・ローリーさんがアニーの父親です。

貴族ですね。

 
2013年現在、このマクスウェルトン・ハウスは一般公開されておりません。突然訪れても今住んでる家族がびっくりするだけです。
行ってみたいと思う方は、どうぞ、失礼のないように連絡をいれてからお願いします。(これがなかなか大変なんですが)
2013 currently, this Maxwellton House is not open to the public.
Those who want to go, please, after putting the contact so that they will not rude. (Although this is very hard to do.)
 

 
私たちは、ブルーバッジガイドさんの尽力で幸いにして近郊の方から紹介してもらうことができました。
アニーの親戚でもない人たちが、こうした歴史的物語が残る家屋を所有するというのは、維持管理に相当な努力をされているのだと思います。また時折訪れる私たちのような取材班も迷惑ではありましょうが、館に住む若夫婦は快く招き入れてくれました。感謝します。
   

この建物は当時のままではなく、復元された住居です。

出っ張っている2階の小部屋が”アニーの部屋とされる”部分です。

   
ココ、ですね。
   

「ここが、アニーの居室とされる部屋です」

小さな子どもを抱えた若婦人が説明してくれました。
当然、ガイドさんの通訳を介してですが。

若婦人の表現からも分かるように、おそらく復元です。
この部屋の手前に昔の白黒写真がありましたが、その様子では、もう少し広かったようですネ。

   
楽譜のコピーもありましたが、古い歌集に収められているモノで歌の弱起部分2音がないタイプ。

私は英語が苦手なので、冒頭の”マクスウェルトン”という部分を、この2拍では発音できません。

現在知られる弱起での始まりかたは、おそらく後年付け加えられたものなのでしょう。

オリジナルは
Lady John Douglas Scott(ジョン・ダグラス・スコット夫人)作曲で、1838年頃発表された作品ではないかと考えられています。その際歌詞の一部が改訂されているようです。
   
上の楽譜は1877年付けの署名があるスコットランド歌集。
作曲者のスコット夫人がまだ存命中に出版されたモノです。

発表から40年ほど経ってはいますが、メロディラインは、こちらがオリジナルに近いと考える方がいいでしょうネ。
歌が始まって4小節目で弱起のメロディラインが現れます。

この歌集では

"Gin a body meet a body" の歌詞で知られる「故郷の空」から始まり、原詩:ライ麦畑で出会うとき、Comin' Thro' the Rye
3曲目に「アニー・ローリー」が収められています。それほどよく知られた歌ということですね。
   
   
この館にはアニーの肖像画が残されています。紹介したいのですが、

なんと、写真を撮り忘れました。
   

英文資料に頼ると、体型はスレンダーで優雅、顔はギリシャ美人を思わせ、茶色の髪に大きなブルーの瞳。手と足が非常に小さい人であったとあります。

実際にみてみると、このカラーの肖像画に描かれている彼女の瞳は、グレーのほうが少し強いブルーグレイで、よく言われる碧眼との表現は微妙です。
夫となったファーガソンさんと対となっているので、おそらく結婚時の肖像画でしょう。
成長につれ少女時代とは瞳の色が変わった可能性はあります。

詩では”And dark blue is her e'e,”ダークブルーと表現されています。

 
さて、巷では、アニーは”ここで生まれた”とされる記述が多いわけですが、現地の情報は少し違います。

アニー関連の屋敷などを所有する関係者の話では、この館では生まれていないのでした。
 

 
で、ブルーバッジガイドさんの情報収集能力を頼りに近隣を捜索。
ありました。
Barjarg Tower Castle currently use as an event and party venue.
   
ここはマクスウェルトン・ハウスから東に数マイル離れた場所。お城ですね。
現在はパーティー会場として貸し出ししているようです。

以前はホテルとして経営していたという屋敷のご主人が語ってくれました。もちろん彼もアニーの関係者ではなく、近年この館を買い取った一人ですが、アニーの逸話は正確に伝承されているようです。

これまた優しそうなご主人で、話は沢山ある、ゆっくりしていってほしい。という感じ。
我々の到着が遅れたので心配していたそうです。ランチを一緒に食べようと思ってたのがかなわず残念そうでした。

この心優しきご主人の話によると、
 
 
  アニーが生まれたのは1682年12月16日。
  前日、この一帯は大雪であった。とのことです。
 
用事があって出かけていたアニーの母親は、あと家まで数マイルというところで産気づいてしまいます。家に戻るには小高い丘をもう一つ越えなくてはなりません。しかし雪はいっこうにやむ気配はなく、ついに自宅へ戻ることを断念。

かねてより知り合いであった、この館の主人を頼って身を寄せます。

そして、この館で朝6時に生まれたのがアンナ。後に歌にうたわれるアニー・ローリーです。

英語の文献では、紫色の瞳をもつ赤ちゃんであった、とあります。
(稀にあるそうですが、成長につれ変化するようです)

 
英語版Wikipediaには大雪のいきさつは書いてないものの、日にちと生誕時刻、場所が特定された記述となっています。
現地取材の結果を見ると、こちらが、正しいようですね。
 
以上、アニー出生時の逸話としてこの地方の人に伝承されています。
この館にはアニーに関するモノは残されていません。たぶん当時とは建物の形も異なるはずです。
今は老夫婦だけが住む巨大な館なので、いずれ人手にわたってしまうかも知れません。でも伝承は残してほしいですね。
 

 
 
以下、結婚までの話は再度英語の資料によりました。
   
アニーはここで育ち、エディンバラでの舞踏会でフィンランド出身の青年ウィリアム・ダグラスに見初められます。二人はこのあたりで、こっそり逢っていたようですね。しかし、政治的立場の違った父親の反対があって恋愛は成立せず。
その美しさで世間の評判となっていた少女、という事情に加え、アニーはまだ未成年だったわけですから当然かも知れません。

傷心のダグラスは心情を詩に綴ります。
この詩が書かれたのは1700年頃だと伝えられます。

1709年、アニーは近郊の領主、アレクサンダー・ファーガソンのもとに嫁ぎます。結婚式はエディンバラで執り行われたようです。 当時としては晩婚でしょうか。


   

   
Maxwellton's braes are bonnie,
Where early fa's the dew,
And it's there that Annie Laurie
Gave me her promise true,
Gave me her promise true,
Which ne'er forgot will be,
And for bonnie Annie Laurie
I'd lay me doon and dee.

Her brow is like the snowdrift,
Her throat is like the swan,
Her face is the fairest
That e'er the sun shone on.
That e'er the sun shone on,
And dark blue is her e'e,
And for bonnie Annie Laurie,
I'd lay me doon and dee.

Like dew on the gowan lying
Is the fa' o' her fairy feet.
And like winds in the summer sighing,
Her voice is low and sweet.
Her voice is low and sweet,
And she's a' the world to me,
And for bonnie Annie Laurie,
I'd lay me doon and dee.
ダグラスさんの詩は、アニーが18歳(結婚する約10年前)の頃書かれていて、私的な刊行物を経て、エディンバラの新聞に掲載されたようです。

実在する未婚女性との悲恋を綴った詩は、エディンバラではセンセーショナルに捉えられ、話題となりました。
当然、親族の耳にも詩の内容は伝わってきたでしょう。
なにせ、”マクスウェルトンのアニー・ローリー”と人が特定されていますから。

アニーにしてみれば ”calf love” 淡い恋心であったことでしょう。
でも書かれてしまうと周りの見る目が変わってしまいます。 

これを読んだアニーも負い目と彼を失った痛手は感じたに違いありません。彼女はそれを忘れるかのように、いくつかの恋愛をしたあとで、
(評判の美人ですから、何もしなくても男性のほうから寄ってきます)
アレクサンダー・ファーガソンさんのもとに嫁いでいきます。

少し結婚が遅れたのは、一番多感な時期に自分に関する詩が世間に出てしまったためなのかもしれません。



この詩のキモは、
メロディのサビとなる”Gave me her promise true”
年上の男性に対する淡い恋心であっても、
”約束”をしていたわけなんですネ。

各連の最後に置かれる I'd lay me doon and dee. 
スコットランド古語のようで doon down、 dee die らしいです。
アニーのためなら、自らの身を横たえて死のうと。
愛と誠の 「君のためなら死ねる」 ですね (最近はゲームか)

二連目は色白、スレンダーな容姿をうたい、陽の光に満ちているという褒め言葉。あと瞳の色ですね。

第三連の”Her voice is low and sweet.”も体験に基づく表現で、
実際、アニーの語り口もそうだったのでしょう。
 

 
次は嫁ぎ先、ファーガソンさんの館です。
こちらも普段はオープンにはされていない通常のお宅です。ただし7月は14-16時に限って公開しているようです。
This Craigdarroch House is usually not open to the public.
Open to the public throughout July each year from 2pm to 4pm.
 
ここも、たどり着くのが大変。土地が広すぎて、道路からは見えません。 クレイグダーロックの元ファーガソン邸です。
   
今でも大邸宅なんですが、元はもっと大きなお城でした。
その当時、彼女を迎えるためにかなりの改築を施したということです。

マクスウェルトンからは小さな村をひとつ挟んだ西側。
数マイルの距離です。

出迎えてくれたのは”碧眼のマダム”と番犬。
現在の所有者はこの老マダム。スコットランドの人ではないようです。

”碧眼のマダム”は日本からの訪問者を快く受け入れてくれました。ここでも感謝です。

突然の訪問者に"番犬"くんが、やきもちをやいて吠えます。
マダムは”番犬”くんを叱りながら、
丁寧にアニーに関する説明をしてくれました。
 
うーん、何やってた人なんだろうな? お歳はそこそこいっていますが、エレガントで華のあるマダムです。
スコットランドの人ではないようでしたが。
   
なかなかの邸宅ですが、この階段は後に追加されたモノ。


外敵から身を守るため、かなり高い位置に出入り口が備えられていたようです。
マダムがいうには、アニーの頃は”はしご”で出入りしていた。そうです。
   
応接室が当時の様子をとどめています。

当然、改築は何度か行われているのでしょうが、
窓と暖炉は昔のデザインのまま、という印象でした。
   
現在、裏側にあるもう一つの出入り口。
今は窓の扱いです。

応接室と直結していますが、やはり2階ほどの高さ。
マダムがいうには、こちらが玄関だったのでは、とのことです。

ここも梯子だったんでしょう。
   
これがアニーを娶った際の記念プレート。


アレクサンダーとアンナの
2つのAを意匠化したもののようにみえます。
 
ファーガソンさんと、結婚後のアニー。

結婚した当時の肖像画らしく、マクスウェルトン・ハウスにある肖像画の写しだと思います。
あちらはカラー、こちらは小さな白黒。

アニーは30代近くにみえました。
   
アニーは、ここに住んで、広大な農園を所有する夫ファーガソンさんと豊かで幸せな日々を送ります。
英文資料によれば、年齢を重ねてからは自らの経験を活かして、近隣の若い娘達の恋愛相談役、仲人などを引き受けていたのではないか、とみる研究者もいるようです。
 
詩を書いたダグラスは、その政治活動がらみで政治犯とされたため、スコットランドから逃亡します。その後、恩赦を受けスコットランドに戻るのですが、2度とアニーに会うことはありませんでした。
 

 
時の流れは、全てを思い出に変えました。
 

   

アニーは33年間この家で暮らしたことが判っています。その後1761年頃亡くなったようで、計算では79歳と、当時としては長命でした。

アニーのお墓は現存せず、どこに葬られたのかは不明です。
研究者は、 この裏庭を含む敷地のどこかに埋葬された可能性がある、と考えているようです。

多くの時間が過ぎ去った今、言い伝えと美しい歌だけが残りました。
 

 
現地へ行ってみて分かったのは、探す手間を除けば、関連地が思ったより近距離だということです。
実家のマクスウェルトンから嫁ぎ先までは約5.4 マイル。おそらく馬車で30 分程度でしょう。
もちろん、大都市エディンバラや最寄りのダンフリーズなどには頻繁に出かけていたのでしょうけれども、
彼女は案外狭い範囲で一生を終えたのだな、という感じがします。
 
女性の美貌は一時のこと、そう思ったアニーは、
ダグラスの詩を胸に秘め、穏やかで慎ましい生き方を選んだのかもしれません。
 
2nd, September 2013
 
取材に協力していただいた全ての方々に、厚く御礼申し上げます。
To all the people who had been cooperating with this Filming, We are extremely grateful.
Special Thanks to : Kyoko Atsumi, Keiko Takazawa and Junya Takishima.
 
本取材をコーディネートしてくれた渥美興子さんはスコットランド政府公認のブルーバッジガイドです。
ご連絡は http://www.myscotlandtours.com/page7/page7.html からお願いいたします。
 
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