光と影の巨匠、レンブラント・ファン・レイン

本年(2006年)はレンブラント生誕400年にあたります。
使用絵画の著作権について


1642年、「夜警」 フランス・バニング・コック隊長の市警団
油彩、カンヴァス、 359x438cm、アムステルダム国立美術館

 修復前の画調の暗さから「夜警」という題名が付けられてはいますが、実際は昼間の画といわれています。少し硬めの光源を左手45度上方に配し、中央の二人にオンフォーカス、あとの人物は被写界深度のボケ足の中にいるような不思議な効果で描かれています。

レンブラントライティングというのは、上方斜め45度に光源を配し、明暗によって立体感を印象づける劇的なライティング手法を指します。 (英:Rembrandt lighting)

  当時肖像画で成功し光のあたる人生を歩んでいたレンブラントですが、この光と影の大胆な配置と背景の描き方は当時の人には余り受け入れられることはありませんでした。アムステルダムの火縄銃射手組合からレンブラントに依頼されたこの絵は、18人が同じ制作費を支払ったのにもかかわらず、中心の2名以外は脇に追いやられ構図の極端さに不満が出たといわれています。この不満はあざけりに変化し、この作品を境にレンブラントには制作以来が少なくなり、彼の人生は影の部分に入っていきます。そのため、この絵は彼の最高傑作であるのにもかかわらず、画家としての名声を失うきっかけとなりました。

  同年、妻を亡くしたレンブラントは自分へのコントロールが効かなくなり、その後、投機に手を出したあげく失敗。生活は困窮を極めていったということです。この事件を境に人間の醜い部分と、崇高な宗教を対比させた作品が多くなっていったといいます。たとえは悪いですが自分では良かれと思っても、他人の評価は低く没落、というよくあるカメラマン人生に似たお話しでした。

1660年、「聖ペテロの否認」
アムステルダム国立美術館

 この絵画の光も主要人物に対して向かって左手からあてられています。こうすることで顔が向かって左手に向くことになり、人の視覚特性からも目に入りやすい視線方向になると言われています。最後の晩餐の後、「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言うだろう」 というイエスの予言を、ペテロが実行してしまうという聖書の記述によった絵画です。

  聖書には「人々は中庭の真ん中に火を焚いて」(ルカ書)、「ペテロが火にあたっているのを」(マルコ書)、「立って火にあたっていた」(ヨハネ書)とあるのでたき火であったと推測され、ろうそくは劇的効果を高めるためのレンブラントの脚色でしょう。また女中さんが描かれているので1度目か2度目の否認だと思います。3度目の否認の後、ペテロは自分の弱さに号泣します。ここでの否認によって命を長らえたペテロは、ローマで25年間使徒として布教を続けましたが、このときの出来事が長く心に刻まれて布教のエネルギーとなったようです。

 その後、皇帝ネロによって処刑宣告を受け、自らの希望で逆さ十字にかけられ殉教しました。ちなみにペテロのお墓の上にはサン・ピエトロ大聖堂(サン・ピエトロ=聖ペテロのイタリア語読み)が建てられ、その広場が十字架にかけられた場所だということです。レンブラントはペテロの顔を蝋燭によって効果的に浮かびあがらせ、「私は知らない」と答える場面を巧みに描いています。そして同時に闇の中の小さな光で人の心の弱さを描くことに成功しています。光源は絵の中ですが手のひらに隠され、こぼれ出るその光だけで光源の存在を表しています。「ペテロの表情が乏しい」という評もある絵画ですが、とまどいを見せたらかえって疑われてしまったでしょう。こういう聖人でさえ危険が迫れば悩んでしまうのですから、心の弱いカメラマンの私なんかなおさらです。