Digital Stream
この記事は記述してから長い期間が経過し、現在の技術論としてはすでに参考にならないと思います。
もう消去すべき時期なのですが、当時の状況を残すためにアーカイブしてあります。
検索エンジンからアクセスされた方は、2004年-2006年に行われたローコスト自主映画の制作手法との認識でご参照ください。

Panasonic AG-DVX100Aと Adobe Premiere Pro 1.5 で制作する ローコスト24p Digital Cinemaの 技術的考察
(お断り:ここで使っている24Pという言葉は正確には23.976Pのことです。)

イントロダクション
ある自主制作映画における職業カメラマンの試み

経緯と心情
3年ほど前、技術的興味があってDVX-100という小さなビデオカメラを購入した。
24コマで撮影出来るということがかって映画の制作現場で働いていたことを思い起こさせ、
また、仕事に使えるサブカメラとしては値段も手頃であった。
正月明けにある思いをもって新宿へ向かったのを今でも覚えている。2003年1月のこと。

ビデオカメラであるため身に染みついている24コマの音やメカの振動などは望めないが、
雰囲気はあるだろうと期待した。おもしろいカメラだがノーマルでは色再現が悪く、サブカメラと
しては使いづらい。そのため仕事での使用は控えもっぱら趣味のテスト撮影をした。

24コマとシネガンマの雰囲気は上々で、単独での使用ならおもしろい画が撮れることがわかった。
このカメラからキネコした画も見せてもらったが、品位はスーパー16と同程度であり、
16mmカメラはすでに現場から消えてゆく運命であることが理解できた。また若者がこの安価な
道具を武器に、新鮮な才能を見せつける機会が増えるであろう事は予測できた。

映画の歴史を振り返るまでもなく、技術的進歩と演出表現は無縁ではなく深く結びついている。最新技術を理解し消化してゆく過程で新たな表現方法が生まれ、新しい時代の才能が開花する。
これらが自分のまわりで起こったらいいだろうなと想像し啓蒙した。その才能は近くにいるはずである。
あと必要なのはトータルな編集環境である。これは整うのを待つことにした。

「常に新しいものに勇気をもって取り組みなさい。」これは京都の名カメラマン 森田富士郎氏から
若い頃いただいた言葉で、今まで出来る限りこの言葉の実行を心がけてきたつもりである。
古い体質、古い感覚、固定された概念の中に浸っていては自分の進歩は止まる。
私自身が次に進まなくてはいけない時期が来ていた。

しばらくして当時出入りしていたあるプロダクションの若手ディレクターたちから相談を受けた。
『私たちは映画監督になることを望んでいる。きっかけとしてなるべくお金をかけずに映画が
撮りたい。技術的な協力をしてくれないだろうか?』というものであった。

30代半ばで映画の制作現場を離れた私は、残念ながら映画で人材を育てる事が出来なかった。
私自身は諸先輩たちから大事に育てられ、映画の撮影者としてデビューさせてもらったのに
何一つとしてご恩返しが出来ていない。 技術者である以上、優秀な技術者を育てあげるのが
本筋であろうが残念なことに後継者がおらず、大映の先輩方から受け継いだ入射式露出計も
後を継ぐ人がなく私の小道具ケースに眠っている。一人で仕事をすることが多くなった昨今の
事情では、この先もあまり人を育ててゆく機会も余裕もないだろう。
だとしたら立場は違うけれども若い才能を技術的にアシストすることは間違ってはいないだろうと考えた。

こんなこともあってこの2人の申し入れは快諾した。これがおよそ2年前のこと。
2004年夏、その一人のディレクターが本人の自主制作映画で賞を得た。
これがきっかけで会社を辞する覚悟で次回作に取り組みたいと正式に申し入れがあった。

協力する旨申し上げた。

思いがあったら言葉にして、その言葉を行動に移し、その思いを実現できる人には
惜しみない讃辞と協力を贈りたいと思う。

このときすでに100の後継機、DVX-100Aが発売されており一部編集環境も整いつつあった。
この際なので出費は伴ったが100を下取りにだし、100Aにカメラを変えた。これが2004年9月。
次年に撮影予定だという。私にとって2005年は撮影業界に入って30年目の年である。
取り組みとしてはいいかもしれないと思ったが、普段職業としてお金をいただいて撮影をする者が
このような自主制作映画に参加する以上、ある一定の批判は覚悟しておかなければならない。
これは後に私の心を大きく揺らすこととなった。生業として撮影をする人間が参加する以上、
色々な問題が起こることは当然予測できまたその通りになった。 が予想されていたこととして
自分なりに消化できたのは収穫であった。
商業映画と自主映画、どちらもやってみなければわからない。

参加する場合に一番懸念したことは,私が撮影現場で長いこと過ごしてきた人間であることであろう。
その経験から危険を察知する能力は高い。画も危険だと思われるものは比較的早めにかつ安全に
処理してゆく。これが若い人たちに誤解を招くおそれがあり、また演出意図を矮小化してしまう可能性があることは重々承知している。   だからそうならないように気を遣う。

ただ忙しい現場では説明している時間もなく撮影をこなして行かなくてはならない。
照明技師はよべなかったのでライティングも一人でおこなわなければならず即断力が要求される。
お金も時間もない中で映画が出来ることをめざせば捨てなければいけない事柄も多くなる。
理想論とはどんどんかけ離れてくる。
でもそれが映画制作の現場であって私がさんざん辛酸をなめた場所である。
これは規模が大きくても、予算が潤沢にあろうと、有限の予算の中で機材や人を使う以上、
レベルこそ違え常に同じ悩みが存在する 。また自分の経験から商業映画の中で頑張っている若者たちがどれほどの苦労や努力をしているかは知っている。でも映画監督になれるのはその中のほんのわずかな人にすぎない。

こういった現状の中で戦っている人たちもいるのだということは、映画の世界をめざすからには忘れないでほしい。

映画を志す若者たちはこういった厳しい現実に目を背けないでほしいと思う。
自分の経験でも楽しいことばかりではない。つらかったことの方が多い。
そうした困難を乗り越えて創り上げたとき、初めて自分の作品に誇りを持つことが出来るのだと思う。

経緯と心情 撮影準備 制作体制 機材 撮影 編集 MultiAudio 出力 まとめと今後 2:3プルダウン
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2006/1/3